去る2023年6月11日の日曜日、私は八幡平に出現する、
いわゆる「ドラゴンアイ」を見た。
参照:八幡平スプリングフェスティバル
https://www.sakura-yuki.com/dragoneye/
”岩手から秋田にまたがる国立公園八幡平の頂上付近にある鏡沼の雪解けの様子が、
まるで龍の眼のように見えることから「八幡平ドラゴンアイ」と呼ばれています。”
参照:ドラゴンアイ観察日記 2023
https://www.hachimantai.co.jp/topics/33241
(画像 2021年に撮影した観光宣伝用のポスターと、
今回iPhone12で撮影した最近のドラゴンアイ)
というのも、明くる日に検査入院を控えていた身ではあるが、
少なくとも今であれば医師に止められることもないし、
自然に慣れ親しむこともヨシ!との自己判断で、
入院前日にも関わらず準備を投げ出しての遠出、登山計画を敢行、
当日は朝イチで秋田駒ケ岳八合目に至る羽後交通バスへの乗車を目指していた。
しかし、ふと3日前にたまたま見た、「ドラゴンアイ」の現状を掲載したWebサイトの
の情報がアタマをかすめ、この6月上旬が例年であればとてもタイミング良く
ドラゴンアイが拝めそうな頃合いであろうこと、また、天候も、高い雲による
一面の曇天ながら、荒れることはない予報であること、さらに他諸々の事情を
勘案すると、もうこれ以上ない好条件が重なったこの機を逃す手はない。
私は、田沢湖高原入り口となる交差点の「右折」を迷うことなく放棄し、
国道341号線を直進したのであった。
時に2023年6月11日日曜日、5時55分の出来事である。
こうした行き当たりばったりでの行先変更も、おひとりさまの良さである。
国道341号線を自家用車でひた走り、玉川ダム、玉川温泉を経由し、
直後、最近有毒ガスが発生している叫沢(きょうさわ 注:駐車厳禁!止まるな!
死ぬ!)を脇目に、大場谷内園地を過ぎ、八幡平アスピーテラインに入り、
大沼、後生掛温泉、蒸ノ湯温泉脇を経由、県境の八幡平展望駐車場に着いたのが
7時15分頃、まだ展望駐車場の正式開場7時30分の前であったが、すでに駐車場は
8割方埋まり、その時点で見た限りは少なくとも半数以上は秋田・岩手の他の
県外ナンバー勢の車で占められており、直後には、主に岩手側からの観光客の
駐車待ち車列が10数台、出来てしまっていた…。
注:入場時点では早朝につき管理者不在のため出入りは自由?なのだが、
とはいえ出場時には正規の駐車料金500円をきっちり支払うことに
なるシステムなので、小銭の用意を。
皆、ドラゴンアイのベストタイミングを見越して、こうも朝早くから
当地を訪れているのだろう。
天候は曇天ながらも雲自体の高度は遥か高く、実際、岩手山は中腹以上が
はっきりと見えていたし、その下には雲海が広がり、現高度帯は安定した
コンディションであった。
ともかく、ドラゴンアイ見たさに集まる観光客のなんと多いこと。
普通の街での夏の装いをした観光客(さすがにヒールやパンプスやサンダルの
類は見掛けてはいないが…)と、少しアクティビティを意識した格好の観光客
(それでも運動靴に準じた履物は最低レベルといった感の家族連れなど)、
さらには明らかに八幡平山頂を目指す登山らしい装備の観光客に大別された。
皆、基本的に目的は同じ。
道中、折々で実に親切な誘導標識が立っており、あえて脇に逸れない限りは、
道迷いなど、考えづらい。
地元の観光協会様のご尽力の賜物であろう。
…通称ドラゴンアイは、「鏡沼」の雪解けの経過に現れる、龍の眼を想起させる
自然の造形だ。
前述のとおり当日は曇天であったため、照り付けるような太陽光線があってこそ
映えるような、観光ポスターに見る深い青の沼の水は現れなかった。
ただ、この日見た景色は、、沼の縁(フチ)から中心に掛けて、
開眼した龍の目玉の様相が控えめに見てもそれなりに見て取れる、
割とベストな部類のタイミングではなかったかと思う。
その場に居合わせた観光客は皆一様に足を止め、各々のスマホで写真を撮り、
自然の1ページを切り取り、お持ち帰りしていた。
…私自身はこのあと八幡平山頂を経由して、八幡沼のヘリの遊歩道を周回し、
駐車場に戻った。
写真を撮りながらのゆったりした2時間強の総行程、体への負荷が少ない
散歩程度ではあったが、普段見ることのない景色(八幡平山頂はほぼ30年ぶり
なのだが、述懐するほどの記憶もなく…そのため実質「新規」扱い)に出会い、
気持ちも新たに思い出を綴ったのであった…。
ここで本稿に掲示した写真に話を移そう。
1枚は以前見かけた観光ポスターに映ったドラゴンアイを、
2021年に手持ちスマホで写真に収めた画像、
もう1枚は、本稿で私が訪れた際の、リアルなドラゴンアイを撮った画像だ。
…商業的に撮ったポスターの画像の方が明らかに「映え」るのは、
万人が認めるところで、疑いの余地もない。
プロの写真家は偉大だ。
1枚の写真で、人を、現地に赴かせる画力(えぢから)がある。
以前、ドラゴンアイの存在もよく知らないままに観光ポスターを写真に収めた
ことが、今回の私の行動のそもそもの原点ではあったし。
一方で今回、実際に現場に立ち、私はこの写真を撮った。
ありきたりではあるが、自分としてはこの1枚に、より価値を見出している。
視覚では前述の「映え」る写真の力には遠く及ばないが、現場で感じた
「嗅覚」=風に乗って運ばれる木々や草花の匂い
「触覚」=登山道を歩いた感覚、拾った雪の冷たさ、歩道の柵のぬくもり
「聴覚」=観光客の話し声、風の音、鳥のさえずり
(「味覚」…は強いてあげればその場で食んだ行動食のグミ、か…)
といった思い出補正が多分に掛かり、この風景を自分のものにした感が
より一層、増す。
まさに脳みそに刷り込まれた気分だ。
…しかし私がここで危惧するのは、バーチャルな世界が、今後どんどんリアルに
近づくことで、いとも簡単にヒトの脳を騙せてしまう可能性を有していること、だ。
画像や音声は既にリアルと違いを見出せないクオリティに達し、
ディープフェイクが実害をもたらすほどに巧妙化している。
遠隔地のモノを疑似的に触る技術や、匂いや味を再現する技術も
どんどん進化してきている中で思うのは、利便性や新たな体験を得ることが
できるようになる一方で、
いずれはリアルが偽りのデータによって書き換えられてしまうことも
あり得るのではないのか?ということだ。
ヒトの考えや感情はすべて電気信号の為せることと考えると、
普段であっても、「実はすでにこれって人為的な電気信号に踊らされて
いる状況なのでは?」と考えることもあり、そのたびに「合成神経細胞群塊」を
思い出してしまうのだ。
まぁ虚構の世界であっても、騙されているうちは幸福なのだろう、ヒトは。
…と言ってしまうと身も蓋もないので、最後のオチとしては、
やっぱりリアル(だと思っている世界)はいいぞ!
コロナも落ち着いたし、また外にガンガン出ようぜ!
ってことです。
さて、来週末はコロナワクチン6回目の接種だぞ…っと。
Written by 深夜徘徊が好き